土曜19052012

最終更新日時09:40:45 PM GMT+8

マギンダナオ大量虐殺事件:命拾いをした新聞記者

11月23日、ミンダナオ島マギンダナオ州で、来年の統一選挙に向けた地元の政権争いが原因とされる大量虐殺事件がありました。

その日、同州の州知事に出馬を予定しているブルアン町のエスマエル・マグダダトゥ副町長の家族と支持者、そして取材のために一行に加わったジャーナリストらを含むおよそ50人以上が、同副町長の立候補届を代理で選挙管理委員会に提出するために選挙管理委員会支部に向かう途中で突然現れた武装グループに全員拉致され、殺害されました。現場の遺体捜索が終了した11月28日の時点で合計57人の遺体が発見されています。

その後、当日に一行に加わっていたインクワイラー紙の記者が途中で忘れ物を思い出してロッジに引き返し、命拾いをしていた事がわかりました。

同記者によると、当日の朝、ブルアン町のマングダダトゥ副町長宅に集まった記者団は同副町長に対し、「(取材に際して)我々記者団の安全を保障してくれなくては困る」と訴えていたそうです。

マングダダトゥ副町長は、イスラム教徒ミンダナオ自治地域( ARMM)地区警察長官のパイサル・ウンパ警視正とフィリピン陸軍に対して一行の護衛を要請しましたがことごとく却下され、そのためブルアン町の女性達に自分の立候補届を提出させることにしたそうです。丸腰の女性達と報道陣には危害を加えないだろうと目論んでのことだそうですが、もし警察や陸軍が護衛の要請に応じていれば、女性や報道陣の大量虐殺を防ぐことができたかもしれません。

知事選の立候補届けを提出するのに、マングダダトゥ副市長と報道陣がそれほどまでに身の危険を感じていた理由は、一体何だったのでしょうか。

マングダダトゥ陣営によると、事件発生の1週間前から同州の実質的な支配者アンパトゥアン一族の支持者である警察や市民ボランティア、そして市民武装自警団( CAFGU)の活動が活発になっていたそうです。

「選挙管理委員会に立候補届を出すことがあれば刻み殺す」といった内容の脅迫を受けるに至って己の無力さを痛感した当時のマングダダトゥ副町長は、メディアの力を信じて報道関係者に協力を要請していました。先にも触れましたが、「ジャーナリストが同行すれば、まさか乱暴な行動には出ないだろう」と思っていたようです。

マングダダトゥ副町長は「女子供や老人には危害を加えない」というイスラム教の慣習にすがり、妻のジェナリンさん、マングダダトゥ町の副市長を務める姉のイーデン・マングダダトゥさん、マングダダトゥ家の末子バイ・ファリンナ・マングダダトゥさん、シンシア・オケンド・アヨン弁護士、そしてコニー・ブリズエラ弁護士の計5人の女性らに立候補届けの提出を依頼しました。

マングダダトゥ副町長によると、アンパトゥアン家はマギンダナオ州では「アンタッチャブルな将軍であり、同州の神のような存在」なのだそうです。アンダル・アンパトゥアン現知事も、2007年の選挙では対立候補不在のまま、すんなりと当選したそうです。

しかしながら、マングダダトゥ副町長は「変化がなければ、人々の生活はいつまでたっても向上しない」と考え、州知事選への立候補を決意したそうです。

マングダダトゥ副町長の立候補届をたずさえたイスラム教女性ら16人、ジャーナリストら37人、運転手ら5人の計58人が5台の車に分乗してブルアンを発ったのが月曜日の朝午前9時30分。陸軍第6歩兵師団指揮官アルフレド・カイトン少将が電話で「シャリフ・アグアクへ通じる国道高速道路では不穏な動きは見られない」と安全であることを報告してくれ、「スルタン・クダラットのイスラン町からシャリフ・アグアクまでの長い道のりには警察の検問が点在しているから心配するな」とも言ってくれたそうです。

一方、くだんの命拾いしたインクワイラー紙記者は最初一行の先頭を走っていた車に便乗していたそうですが、途中給油のために立ち寄ったガソリンスタンドで車を乗り換え、他の一行と別れて前の晩に宿泊していたタクロン市のBFロッジへ貴重品など必要な物を取りに戻ったそうです。

ロッジに戻った同記者ら数人は、ロッジに着くなり従業員から「つい3分ほど前まで、2台のオートバイに分乗してきた身元不明の人物ら2人がロッジに現れ、マングダダトゥ副町長の立候補届の提出を取材するジャーナリストらの名前を聞きまわっていた」ことを知らされたそうです。幸いロッジ側は誰の名前も明かさなかったそうですが、それを聞いた同記者らは不吉な予感を覚え、結局一行を追いかけて選挙管理委員会の地区事務所があるシャリフ・アグアクに向かうことを取りやめたそうです。

同記者は当時を振り返り、自身の記事で「まさかあの時の寄り道が我々の命を救うことになるとは思わなかった。本来だったら私は現場にいるはずだった。他の皆と共に殺されているはずだったのだ。」と語っています。

ブルアン町のマングダダトゥ副町長宅に戻る途中、同記者らは何回か一行の記者仲間に連絡を取ろうと試みたそうですが電話はつながらず、やがて同副町長宅に到着した彼らを待っていたのは、一行を乗せた車5台が全てアンパトゥアンの武装支持者に拉致されたという副町長の言葉でした。

この事件で、フィリピンはイラクを飛び越えて「世界で最もジャーナリストにとって危険な国」という不名誉なレッテルを貼られることになってしまいました。

今回の大惨事は、武力と警察との癒着によって一つの州全体を牛耳る一握りの地元有力者一族の存在を浮き彫りにしました。このような非民主的な政治が他の地方でも行われていないとも限りません。不当な暴力の前に成す術もなく散っていった多くの犠牲者達の無念を晴らすためにも、政府は事態を真剣に受け止め、真相の究明を急ぐと共に、然るべき当事者に対して然るべき裁きを下してほしいと思います。



ソーシャルブックマーキング
Twitter! Yahoo!ブックマーク はてなブックマーク Google! Live! Facebook! livedoor clip Buzzurl MySpace!
Joomla Templates and Joomla Extensions by ZooTemplate.Com

最終更新 2009年 12月 02日(水曜日) 14:56

コメントを追加

不適切と判断したコメントは削除いたしますのでご了承ください。


セキュリティコード
再読込み