フィリピン民主主義の象徴、コラソン・アキノさん(享年76歳)が8月1日午前3時18分にマカティ市のマカティ・メディカル・センターで亡くなりました。
「普通の主婦」と自負していたアキノさんは、反マルコス派だった夫のベニグノ・アキノ氏がマニラ国際空港で暗殺された後、支持派によって大統領候補に推薦され、マルコス大統領(当時)との大統領選を戦い敗北。しかし、この結果に国民は納得せず、マルコス政権の要人であった当時のフィリピン国防長官ホアン・ポンセ・エンリレ氏とフィリピン軍副参謀長官フィデル・ラモス氏が反旗を翻してクーデターを決起。
これはピープルパワー革命とも呼ばれている エドサ革命としてフィリピン民主主義の歴史に深く刻まれています。
マルコス一族のハワイへの亡命後、アキノさんはフィリピンの第11代大統領に任命され、1986年 TIME紙の Woman of the Year として表紙を飾り、同年のノーベル賞平和賞の最終候補にも選ばれました。
1992年の退任後もフィリピンの政治に強い影響力を持っていたアキノさんは、今年の3月に結腸がんと診断され6月末に入院。7月に入って病状が悪化したことが発表されると、一時は既に死亡したのではという噂が流れました。
亡くなった日は、夫の26回忌である8月21日を目前とした20日前でした。
グリンヒルズのラサール高校体育館に安置されているアキノさんは一般公開されており、月曜日の朝にはイントラムロスのマニラ・カテドラルに移されます。アロヨ政権より提案はあったものの、アキノ家が拒んだために国葬は行われない模様です。
アロヨ大統領は、10日間を服喪期間とし、アキノさんが埋葬される水曜日を休日にすると発表しました。











